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≪長編小説≫

模範生徒モハンセイト
0:プロローグ
...

  # プロローグ
「クソくだんねーよ」 

大隈ヨーコがとうとう言い放った。 
数週間も前に借りてきた本を数十分で読みきった彼女は、
たった数秒前には手に汗まで掻きながら握り締めていた世界を宙に放った。 

そもそも大隈ヨーコという人物が図書館まで出歩くこと自体が珍しい怪奇現象そのものであり、
たった一冊の本を借りるためだけに一言も文句を言わずしかも何十分も待たされて図書館カードを作り、
母親が毎朝丁寧に仕上げる弁当まで抜いてまで読むほどの集中力を発したのは、
彼女の短い人生のなかでも初めてのことだった。 


* 


「愛してるよ」「わたしも、愛してる」 
なんて臭いコトバを無言で印刷するプリンターがあって、
グラビア雑誌を横から覗いている男子中学生がいて、
立ち読みでニヤけているオヤジの横を邪魔くさそうに眉間にしわを寄せて弁当を探るOLが居る、
そんなこの世の中。 

いくら成績が良いからってイジメられない訳でもなく、
目も当てられないほど不細工だからってバイオリンが弾けない訳でもない。
要するに、目で見えるものには限界があって、
そしてそこには先入観も混ざって脳に伝わり物事を理解して飲み込んでいくんだ。 

そんな下らない屁理屈を、ある晴れた昼下がりにタイピングしながら、僕はおおきな欠伸をした。 

「スイマセーン」 

怒鳴り声と共に、インターホンが何度目か鳴る。 
大声でいい加減に返事をして受話器をとると、
「このクソ暑いなかお疲れさんです」と声をかけたくなるくらい、
新人社員と思われる青年が多分汗だくでハキハキとマニュアル通りオシャベリを始める。 

半ば冬並みに冷えきった部屋で、手に取ったポップコーンの袋と格闘しつつ、
適当に「はあ、そうですか」とか生ぬるい返事をする。 

「えーと、今入会されると、生ビール一箱もれなく差し上げます、ということになってます」 

適度なところでオシャベリが途切れ、応答を求めるような、呼吸音を確かめるような沈黙が生まれる。 

「いま、親、家にいないんで」 

中途半端に区切ると、受話器の向こう側から挨拶もなく足音が遠ざかる。 
ま、いつものことだよね。 
付けっぱなしにしているテレビから垂れ流される簡素な笑い声が、
一人ぼっちのただっ広い家の空気を紛らわす。

シワだらけになったポップコーンの袋を諦めてベランダを見やると、
入道雲の白と真っ青な空のコントラストが、薄暗い部屋に慣れた目を刺激して眉をしかめる。 

冷え切ったフローリングを裸足で歩き回りながら、カウンターに乗っかったハサミで袋の封を切る。
と、たちまちポップコーンの香ばしいにおいが充満する。
右手を袋に突っ込み、「この先に未知の世界が繋がってたら面白いのに」などと
妄想しながら摘んだポップコーンを口の中に放り込む。 

ラジカセとテレビが不協和音を奏でる中、僕はまたよく回る回転椅子に座り込み、
のっぺらぼうのディスプレイに向かってタイピングを続けた。 

ほぼ一秒ごとに小さな窓が画面に浮き出てきて、どこかの誰かが話しかけてくる。 

「こんにちは、元気?」 

と挨拶がてら話しかけてくる人はまだ礼儀正しいほうで、
「何歳?」「どこ住み?」としょっぱなから訊いてくる人も居る。 
といっても、文字同士の会話だから、声の代わりに電子音が僕に知らせて、僕がそれに応える。
そうやって会話は成り立っている。 
会話の窓を閉じてしまえば、そこで会話は終了。
簡素で、かつ便利なインスタント会話。 

僕はもう一度大きな伸びをした。
疲労や怠惰が音を立てて崩れる気がした。

ディスプレイを賑わせている会話も、賞味期限切れで、主を失って、崩れた。







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