TOP PAGE

はじめに

世界設定
人物設定
用語集

≪長編小説≫

灰色庭園ハイイロテイエン
0:プロローグ
1:少女の空
2:存在定義
3:誰かの声
4:消した記憶
5:最上階-鐘
6:鐘と夢
7:時と音と声
8:メゾ・ピアノ
9:嵐の翌朝
10:リアリティ
11:傾いた眼
12:横断携帯
...

  # 第七話 『時と音と声』
「やっぱり僕にはまだ無理なんでしょうか、ね」
思い出したように時間が動きはじめる。
教会のまっすぐ奥の木製ドアの開閉。
黒井が戻ってきた。

「――あの鐘の音は、」
「ああ。僕が鳴らしたよ」
「――そう。」

アグリが、ドアのすぐ横のぽっかりと開いた穴に身を乗り出しながら言う。
黒井をちらりと横目で盗み見るとすぐに目を伏せ、そこに天井の光が舞い降りてきて、
彼女の長い睫毛のうえから影を作り、雪のように白い肌を縫う。

「――もう随分と、あの音を聴いていなかったから、驚いた…」
「見た感じ、かなり錆びれていたけれどね」

アグリにもその様子は容易く想像できたようで、伏せていた睫毛を重たそうに引き上げて、
瓦礫の向こうの闇を見やる。

「――鳴らす人が、だれも居なかったから。」

その長くて細い睫毛が震えたかと思うと、今度は人形のように首をまわし顔ごと少年へ向ける。
少女の小さな身体を支えているレンガが、少しずつぽろぽろと落ちる。

「誰も?」
「――そう。誰も。」

独り言のように呟いて、それきり彼女は瓦礫の奥の闇をみつめていた。
彼女は、見ているとそのまま飲み込まれそうな儚さをたたえている。
だから僕は、何も言えなかった。触れられなかった。
白い光が闇に飲み込まれるのを望んでいるように、僕はひどく哀しい顔で笑っていた。

振り向いて外を確認してみると、もう大分夜が更けていた。
しんとした、広い天井には闇が立ち込めている。
その闇と窓の外の闇を比べてみれば、当たり前のように外はまだ明るく、
何度も使った筆洗いバケツのなかの濁水のようだ。




トスン。

また誰かの音が、時間を動かし始める。
僕は、窓の縁で頬杖をついて外の闇を眺めたまま眠っていたらしい。
ねっとり絡みつくような熱気を吐き出し、背を反らせ伸びをし、目だけ忙しなく白い少女を探す。

光のない薄暗さのなかで目をこらすと、白いものがL字にフラリと動くのが見えた。
続いて、シャボンのように透明な声といっしょに篭った半音ずれたピアノの音。
聞こえた音は、大きく抉られた空洞の横のグランドピアノの椅子を引いた時のもののようだった。

透き通る声が、漆黒の空気をつたわって響く。



 アラベスクが きれいだわ

 しろと くろの 鍵盤のあいだに  わたし

 ふかく ふかく とおく  堕ちてしまったの


 とびあがるツバサすら なにも持たずに

 おもく おもく ひくく  溺れてしまったの


 だって 一歩 ふみだせたわ  わたし

 あなた ただ ないてた 震えて


 おなじ夜が やってこようとも

 どうか どうか

 音を たてて ないてて



紛れもなく彼女の声で。
白い腕がなめらかに鍵盤をふれていくのだろう。

それらメロディを覚えようとして、ぼやけて、輪郭を失って。

鐘の音が、耳の奥で、すするように、鳴いた。





←back ↑top next→
Copyright(C) 2005 MIKOTO. All rights reserved.