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≪長編小説≫

灰色庭園ハイイロテイエン
0:プロローグ
1:少女の空
2:存在定義
3:誰かの声
4:消した記憶
5:最上階-鐘
6:鐘と夢
7:時と音と声
8:メゾ・ピアノ
9:嵐の翌朝
10:リアリティ
11:傾いた眼
12:横断携帯
...

  # 第四話 『消した記憶』
ずいぶん昔、誰かが言っていた。
雨が降らなきゃ虹も出ないんだよ、と。
鳥肌がたつほどの優しい声でゆっくりと、繰り返すように諭すように囁いた。
それは全く、誰だったんだろうか。
僕のおぼろげな記憶には、懐かしい黄ばんだアルバムの形すら消えてしまったようだ。
消えた?いや、消してしまった。望んで消したんだ。
それ以上の余計なことを思い出させない為に。

先ほどまで硬いコンクリートに打ち付けられて音を鳴らしていた激しい雨は、
今はもう弱まって霧状になっているらしい。
教会の大きな二つの扉から真っ直ぐ、直線上の突き当たりにある壊れたステンドグラスを、
パズルのように弄って遊んでいたアグリが、小柄な顔をすこしだけ外へ出し、それから細い腕を
用心深く差し出しては何度もくりかえし確認する。

「――雨、もうそろそろ、止みそう」
「そう」

 ゆらり揺れる空。
 空は泣き止む。

少し湿気で濡れた床を、ローファーでぎゅっぎゅと音を立てて一歩ずつ前へ進む。

「ここの案内図みたいなの、あるかな」

教会の一番奥の破損した大きな壁の穴の隣で、まだガラス遊びをしていたアグリに訊く。
すると、彼女は可愛らしくすこし首を傾げながら答える。

「――アンナイズ…」
「教会内の、見取り図みたいなものだよ」
「――ある。でも、ディスプレイに投影されているから…」
「そこへ案内してもらえるかな」
「――了解」

アグリは硝子の破片を無造作に手で一箇所に掻き集めると、脚を揃えて立ちあがり、
こっちだよ、と言いながら前に進み出て、奥の木材でできた古びたドアへ僕を誘導する。
鍵はドアノブに差さりっぱなしのようで、彼女がくるりと回すと音もなく簡単に開いた。

薄暗く冷たくて細長い通路を、アグリが先導して先を歩いてゆく。その後に僕が続く。
さらに奥へと入っていくと、ひらけた空間に出た。
そこは一見すると研究室のような、機械や装置だらけなのにやけにさっぱりした部屋だった。
彼女は立ち止まっている僕に目配せして、大雑把にならべられた机の合間をうまく縫いながら
さらに部屋の奥へ奥へと進んでいく。

目を落とすと、影が僕のふたつの足首を捕らえている。
僕の影から聞こえていた声は、もう返ってこない。
僕が鍵をかけたから。
影から響いた声は『いつか私はあなたを殺してみせる』と言っていた。
アイツの話によると、自分は"イノ"と呼ばれ恐れられている声を持つと言っていた。
さらに、その声によって世界は滅び灰色と化してしまったのだとも言った。
だから自分は唯一生き延びているお前を殺してやるのだ。
お前――要するに僕は、彼もしくは彼女、『イノエ・ディズ』の入れ物なのだ、と。
けれど、僕はそこで疑問を覚えた。
もし"それ"がアイツに有るのだとしたら。
僕にも有る、ということだろう?と。
それを説明すると、アイツ――イノは、それきり黙りこんでしまったのだ。
イノは未だ、僕の支配下にある。

やがて先を歩いていたアグリの足が止まり、僕も立ち止まる。
目の前には大きな液晶ディスプレイ。真っ黒い背景に、青白くて細長い光が線を形作っている。
その光が束になって赤い点に集まっている。どうやらこの部屋は、建物の中央にあるらしい。

「――見かたや操作方法は、わかる?」

アグリが訊く。
その碧の目がディスプレイから放たれる光を反射して、さらに青く妖しく光る。

「ああ、少し弄ってみる」
「――帰り道も、もう覚えた?」
「うん」
「――じゃ、アタシは、戻るよ」
「また、後で」
「――ごゆるりと。」

アグリは元通りの道順で、早足で戻っていく。
そしてその小さな白い背中はやがて闇に溶けて消えた。

僕はそれを見送ってから、視線をディスプレイに戻す。
不意に胸の奥が疼く。
ダメだ、思い出してはいけない。

「イノ…か」

口許が引きつる。

思い出しては、イケナイ。

禁断の記憶。







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