いくつかの交差点を人ごみに埋もれながらも信号が青のうちに渡った。
駅の前の広場には特に目的もないような顔をした中年の男女がたむろしていて、
それぞれ携帯と睨めっこしていたり、煙草を買いに立ち上がったり、
忙しなくブランド物の腕時計をチラ見している。
その広場の隅の方で、酔っ払いが警官に、ひたすらに何か話しかけている。
覚醒剤がどうとか、麻薬所持がどうとか騒いでいますけれどねえ、
ただそれだけで頭がトチ狂ってるとか、気違いとか言うのは間違ってますぜ。
警官はそれを「ハイ、ハイ、そうですねえ」と、気だるそうに聞き流している。
酔っ払いはまだ言い足りないらしく、止まらず流暢に一方的に喋り続ける。
だいたいねえ、トリシマリと警察は声高にダラダラと薄っぺらい書類を引き出しから
引っ張り出しているお前さんたちの方が気がどうにかなってんじゃないかねえ。
警官は、ハイハイと相槌を打ちながら項垂れ、何度も頭を、いかにも重そうに持ち上げていた。
血色の悪い浅黒い顔に二つの血走った目玉がギョロリと埋まっていて、
上唇と鼻の間の裂け目が更にサルのような顔立ちに見せている。
相槌しか打たない警官の反応に酔いが醒めたのか、それじゃあ、
と言ってニイッと下品に笑って、ザリザリとペンキ塗れの作業服を引きずりながら
慌ただしい駅の改札口に消えていった。
警官は何も無かったような顔をして、そして何か思い出したように胸ポケットに手を突っ込み
煙草の箱を取り出し、中から当たり前のように一本つまみ口に咥え、右手でそれを覆い隠すように
ライターで火を灯すと、満足気に肺を膨らませて白い大きな溜息を吐く。
僕は、微風がそれを流し去るのを待ってから酸素を吸い込む。
交番のオフィスに戻った警官は、回転イスをくるりとまわし、煙草の灰が山盛りになった
ガラスの灰皿に、もう随分と短くなった煙草を右手に挟んで伸ばしてゆき、トントンと灰を落として
それから灰皿に押し付け潰す。
すると見計らったように低い声が無線機から聞こえ、「また、酔っ払いだそうだよ」と苦い顔をして、
少し嘲るような笑いかたをしてヘルメットをかぶり、白と黒のバイクのセンタースタンドを蹴り上げて
飛んでいった。
足は無意識のうちに歩行を続けていて、僕は階段を上り、歩道橋を渡って、階段を下りていた。
駅前のラジカセと頭上のスピーカーから再生される音声は、顔をしかめても止まってくれない。
それどころか共鳴して大合唱を始め、道行く人の心地よいBGMとなって流れ出す。
ふと思い出して、アルバムを眺めるように、携帯の着信履歴を眺める。
同じ名前が、短い間隔で、何度も残っている。
僕は何がしたいのだろうか、と考えてみる。
ただ拘束していたいだけだろう、と思う。
自分という檻の中に閉じ込めておかなければ、不安なんだ。
朝起きれば、いつのまにか檻の鍵は壊れている。
そして中身はもぬけの殻なんだ。
捕まえよう、と身をおこすにも、あまりに頭痛が激しくて倒れこむ。
携帯はバッテリー切れの、ただのプラスチックの塊のようだ。
だから、どうということはない。
携帯は充電しておいて、自分もそのままの状態で充電するだけだ。
咎めるものはいない。もしも咎められたとしても、ハイハイと頷くだけだろう。
あまり、「執着」というものは、ない。
服も黒であれば大抵着るし、静かであれば何でも好む。
植物を眺めているのも好きだし、読書も、昼下がりのガラ空きの電車に揺られるのも好きだ。
しかし、「執着心」というものは、話し方や好みタイプの話題にまで影響を及ぼすらしい。
僕には、よく分からない世界の話だ。
ぶらり立ち寄る駅前百貨店でも、本屋や服屋をカップルでうろついたりする意図は理解できない。
お前のセンスおかしいよ、と友人に笑われる。
そもそも僕の中のセンスとは、文化であり、僕の世界を形作る設計図でもある。
僕の見える世界はおかしくない。寧ろ、僕は周りの世界がおかしく見えてしまうんだ。
携帯は「充電中」のしるしに、ずっと頭を赤く光らせている。
それはまるで赤信号のようで、そして僕はじっと待機していなければいけない。
いくら長い信号であっても、隣の親父のように怒鳴ってはいけない。
怒鳴っても信号は変わらないからだ。
どんなに車が通っていなくても、先ほど走って通り過ぎた男のように無視してはいけない。
終わりない白と黒のゼブラ模様の上でのた打ち回り、そのうち車に轢かれるか何かするからだ。
ずいぶんと長い間立ち続けていても、斜め前の女性のように泣いていてはいけない。
そのうち涙が枯れるか、その空虚な心に気付くかして、泣いても誰も助けてくれないことや
世界は妥協してくれないことを知ってしまうからだ。
僕には意地や根性などない。急ぐ理由も、とりわけ無いのである。
特に泣くこともない。他人のために泣くのはお行儀のよい子を演じるときだけであるし、
自分のために泣くなんてことはもっての他である。
執着の無さとは、なんとシンプルで質素で空虚なものなんだろう。
それは僕の世界に対する鏡映しのようなものなんだ。
T o B e C o n t i n u e d . . .
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