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用語集

≪長編小説≫

灰色庭園ハイイロテイエン
0:プロローグ
1:少女の空
2:存在定義
3:誰かの声
4:消した記憶
5:最上階-鐘
6:鐘と夢
7:時と音と声
8:メゾ・ピアノ
9:嵐の翌朝
10:リアリティ
11:傾いた眼
12:横断携帯
...

  # 第十一話 『傾いた眼』
カタンコトンと音を立てながら階段を下る足取りは、今朝よりも幾分軽い。
灰色と白が入り混じった砂利を音を立てて踏みながら、ふうと吐いた息が白くならずに溶けた。
十字路を右に曲がると車の往来が激しい大通りに出た。呆然と突っ立っているイチョウの樹は、
葉を枯らしてあちらこちらに散りばめ、歩道には跡形もなくメチャクチャに踏み潰された銀杏の
臭いがたちこめている。
ふと、無意識に前後していた足の爪先に、じりりと刺すものに気づいた。
立ち止まって俯き見ると、所々茶色く泥で汚れた黒いスニーカーが水溜りに突っ込んでいて、
冷水がじわじわと染みていたらしかった。
と、途端にむず痒いような、寒々しいような気がしてきて、全身に虫唾が走った。
それまでは、全く、感じさえしなかったというのに。
仕方なく、ぐっしょりと濡れたスニーカーの中で10本の指を折り曲げて縮ませながら、
水溜りを避けて歩くことにした。

街路地に立ち並ぶラーメン屋や不動産屋に目を走らせていると、
ローソンの上にずっしりと乗っかっているマンションの窓から見知らぬ女と目が合った。
僕が立ち止まって直視すると女は気付いた様子で、折れそうな程に細い腕を伸ばし、
カーテンを払いのけるようにして束ね、雪のように白い顔を柔らかく歪ませ微笑み、
身を乗り出すようにして外を眺めていた。
僕はその微笑みを返すこともせず、ただ、ぼんやりとローソンの入り口手前で突っ立っていた。
不意に視線を落とし、俯いて、目の前のローソンに入ると、雑誌を読んでいたはずのオッサンの
顔がニヤけていて、レジの女子高校生が好意の視線を投げかけていて、
プリンやオレンジジュースを詰め込んだカゴを持って店内を歩くOL2人は、
僕に視線を合わせないようにして何かひそひそと小声で話していた。
そんなことにも構わずに、僕は本のコーナー前で立ち止まった。
週刊誌、マンガ本、料理の本、アダルト雑誌。一通り、流すように見てから文庫本の棚の前で屈む。
同じような間隔で並べられた本の中で、ひときわ目立っていた緑色のブックカバーの本に興味を持ち、
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚から人差し指でスライドさせて、それを手に取ってみた。

ぱらぱらとページをめくると、さほど文字の多い本ではなさそうだった。
寧ろ、文字と文字の隙間が、妙な趣を醸し出している。
目次の裏には、こう書いてあった。


 “産まれ落ちたことに罪は感じていない。アダムとイヴの姦通であっても構わない。
  受け入れることは躊躇わない。欲しがることも躊躇わない。
  紙っぺらを手に入れたならば赤い林檎を買うがいい。
  熟れすぎた林檎は、その燃えるような血の色を香らせて艶やかに誘う。
  酔ったような気分であろうが、それはあくまでも夢の一端である。
  今現在がまさに夢の中であり、夜が更ける頃こそがリアルの始まりなのだ。” 


僕はその本を手にして、一通り店内を無意味にぐるぐる歩き回った。
それから、今はレジで忙しげに無表情品物を袋に詰めている幼い顔の女店員の前に並んだ。
「お待ちのお客様は、こちらへどうぞ」
隣のレジの、店長らしい男が言った。
若いレジの女は一瞬、うやうやしい視線を投げつける。
それから、何くわぬ顔をして「レシート要りますか?」と笑顔で接客に戻った。
「ありがとうございましたあ」
ごく普通の機械的な言葉を、ごく普通に無視して、コンビニを出た。

街路地にぽつんと取り残されたように突っ立っているバス停の方へと少し歩いてから、
先ほどのアパートを見上げてみた。
でも、幾らマンションの妙に清潔感を漂わす銀色に目を走らせても先ほどの白い女は見えず、
密かに何かを期待していた自分に呆れた。
僕はそのまま暫く、項垂れ、ひび割れたベンチに腰掛けてぼうっとしていた。
そして、ふと先ほど買った本のことを思い出して、薄っぺらい辞書のような紙質のページをめくった。
しかし、それから2秒と経たないうちにバスが来た。
年寄りしか乗っていないバスは妙に静かで、僕が二百十円を投げ込むと更に静かになった気がした。
右の窓側の座席に座ると、不意に、ずん、と重くのしかかる何かを感じる。
そのうちに、その感覚が脳みそから肩、足に伝わって、瞼が重くなる。
また、乗り過ごしてしまう。
抵抗して必死に目を開けようとしていると、余計に焦点が合わなくなる。
プツリプツリ途切れ途切れの記憶のなかで、停留所のアナウンスを聞く。
運転手の「ウイ、次停まりまあす」という間延びしたやる気の無い怠惰な声を。
まだ、着くには早すぎる。
ついに目を閉じたまま、でも意識は確かに持ちながら眠った。


何度となく眠っては起きて、を繰り返した。
そして、バス停がまだ遠く着く気配が全くないのと同じに、まだ脳にずっしりと下がる、
暗くて重い何かがこびりついて離れない。
それは銀ピカの馬鹿でかいピアスのように、僕の脳に垂れ下がっている。
やがて、それを通しているぽっかりと開いた穴から、声にならない嘔吐となって逆流した食物が、
おそろしい顔をして哀しい涙をながして逆襲にくるんだ。
僕は夢との狭間で、虚ろな瞳をブランコのように揺らし、外を見ていた。
段々とアパートが近くなる。途端に、カチリと眠気が覚める。
膨らみすぎた風船につめこまれた空気が抜けるみたいにバスが停車する。
僕は、青信号のノロマのワゴン車のように動き出す。
そして深呼吸し、篭った二酸化炭素を吐きだした。
その代わりに降りたばかりのバスから吐かれた出来立ての排気ガスを吸う。
一瞬、つと肺が呼吸するのを止めると同時に眩暈がした。
僕はキッと唇を真一文字に結び、眉を寄せ、グレイの空を俯きがちにやや早足でゼブラを踏みしめた。







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